中国での業務及び業務管理について失敗と反省を持って
さて、テーマ2です。
このテーマは、私から発表させて頂きました。
趣旨は、
約6年間の中国工場での駐在業務を通じて奮闘(?)したことを顧みて、これからの仕事に役立つ事、為になる事を見つけること。また、“ぞうごの会”に来て頂いた方にとっての“転ばぬ先の杖”になること。
成功例というのは、色々な書籍が出ておりますが、
失敗例というのは、なかなか事例がありません。
また、本で読んでいても気がめいってしまうもの。
しかし、ディスカッションであれば、良いかな?
といった意図で企画を作りました。
さて、
私が中国に駐在になったのは、以下の様な環境でした。
・発足約半年の営業部の管理。
・部署機能は、
1)海外顧客に対するサポート、
2)本社注文の受発注業務の一部、
3)中国国内の営業開拓。
部員は、新卒中途採用を含む22歳から30代半ばまでの、CS部は5名〜8名、営業部は3名〜10名。
2003年〜2008年12月
この頃の日系工場は、大体同じ様な業務課題を持っていたと思います。
このダイジェストでは、結論から述べてしまいます。
中国で、または海外でビジネスを成功せる為には、
日本(本社)以上に人作りや仕組みを行う必要が
あります。
その為には、現地で不足している、特に人事関係
法務関係は、外注を利用する・経験者を入れる等
の”もの造り”以外の体制が必須です。
結果を先に持ってきました。
私も問題にあたる度に、周囲と協力しながら、試行錯誤しながら、
その解消や解決にあたってきました。
営業部所属ではありましたが、人材管理に付いては、
人材採用、給与体系作成、教育、評価、給与交渉など、
本社業務では行わない事も手がけました。
その結果、
自信の実績・結果は、評価したいと思います。
しかし、今は防止出来た損失が多かったのではと考えるようになっています。
勉強会へ移りましょう。
「人が辞める」
中国で仕事をしていると、部下の退職に頻繁に良く出くわす。部下の退職は、上司の職務怠慢。もし、この常識で査定されていたら、7年も勤めていられなかった。同じ部署を見て来たこの期間、7名〜最大16名が属していた。この部署の人員は恐らく20名強が辞めている。部署全体の人員が大体3回転したことになる。面接、採用、また契約更新面接を繰り返すことが日常茶飯事だった。
その理由の一つには、日本とはことなる労働契約がある。2007年までは1年契約が通常だった。毎年に契約更新手続きがあるものだから、その都度給与交渉が行われ、条件が合わないと辞めて行くということがあった。現在は、労働法の改正から最低でも3年契約とするところが多いので、もしかすると私が経験したよりは激しくないかもしれない。
ケース1:給与交渉
最初の経験、中国駐在がスタートして一年は経ってからだと思う。海外顧客の受発注を担当していた女性社員2名から、直訴メールが本社営業に送られた。佐藤の指示には従う事は出来ないから二人とも辞めるという内容だった。メイン担当の二人が突然辞められては困る。営業部長の上海出張を待って、面談をすることになった。
二人が問題としているところを掘り下げて行く。なんとか留まるようにと話をするが、二人とも頑として聞かない。
そのまま進まなくなってしまった。
面談は、時間を変えて別々に話を進めることにした。すると話が変わって来た。一人は、家族の関係もあって引っ越す必要が有り、いずれにせよ辞めなくてはならないと言う。もう一人は、二人で辞めると約束してしまった以上、辞めなくては面子が立たないと言う。
それは、給与交渉だった。
推測は良くないと思う。が、このケースを後から考えてみると、以下のようになるのではないかと思う。
一人は会社を辞めるつもりで面接を受けに行っていた。そこで、他の会社ではより高額の給与が貰える事を知った。そこで、新任の上司が赴任したことを機会にし直訴メールを本社に送った。給与交渉が出来る土台作りだ。交渉の結果として、辞める事になったとしても、既に高額の給与を出す会社があるからリスクヘッジも出来ていた。
反省点:
・この頃の社内は、社員間の給与ギャップも大きく、規定もしっかり出来ていなかった。
・部内の昇級規定なども、しっかりしておらず、人員配置のリスクヘッジも出来ていなかった。
・私の管理者としての未熟さもあった。
ケース2:道連れ
二人の直談判があってから3年は過ぎたころ似た様な道連れが発生した。この時は、残念ながら2名共辞めて行った。
ことの発端は、ある担当者が起こした些細なミスだった。他部門へ出す指示内容が間違っており問題が発生した。事後関係を確認して行くと、担当者がやるべきステップを踏まずに指示を出したことにあった。本人も自覚が有ったことから、今回は注意に留めた。
これで、この件は終わると思っていた。
しかし暫くすると、その本人が泣き出し会社を辞めると言い出してる。
それも別の部員を巻き込んで。
彼女の口からは、仕事が忙しすぎると非難が出ていた。巻き込まれた側の社員は、自分も仕事が忙しくて、体調が悪いと言い出していた。二人は日頃から中が良く、昼食等も一緒にとっていたようだ。巻き込まれた社員は、素直で真面目であり将来有望だった。しかし、残念ながら辞めていった。
反省点:
・CS部内の人間関係を把握していなかった事。中国の人間関係は、個人対個人に重きが置かれる。
・巻き込まれた社員側の体調とうを把握していなかった事。
ケース3:人に付く
2年間子会社で営業を担当した。その会社は、総経理が一から立ち上げた。日本から一人で中国へ渡り、会社設立、工場設立、採用、教育まで行い、途中トラブルは有ったものの軌道へ載せる事が出来た。2008年までは本社からの業務委託で経営的には問題なく順調と言えた。リーマンショックで本社からの仕事が途絶えたことから、中国国内で自立を目指して営業展開を始めた。
営業開始から1年でやっと2社大手顧客が捕まり、新サービスも立上げこれからだった。その総経理が倒れた。経営的にも綱渡りが続き、本人の給与も停止状態もあり、精神的にも体力的にも限界にきていたかもしれない。即帰国が難しかったとことから1月ほど療養した。回復には向かったものの、業務復帰は難しく、帰国することになった。
新しい総経理が赴任すると、暫くして人が辞めて行った。1年ほどで、その総経理と共にやって来た人材はいっさいいなくなってしまった。10名強の従業員がいなくなった。結果として、日本から技術人員を急遽増員し、日本人が中国で作業を行う事で業務をこなした。何の為に中国に進出したのか分からなくなってしまった事例とも言える。
反省点:
・本社から新任の管理者が来ると、日本とのギャップに驚き、まず非難から始める。
・前任者とは、良い意味で補完関係が出来ていたかもしれないローカルスタッフは不満を覚える。
・新しく赴任した際に、しっかりと人間関係や業務の補完関係を作る事は大切だと感じる。
ケース4:通訳について
通訳は、「通訳を使うと言う覚悟」が必要だ。
海外で仕事をする上で、言葉が出来る出来ないは、死活問題になる。通訳を使えば良いという考え方もあるが、気軽に使っていると手痛いしっぺ返しにあう。
前述した総経理の話だ。この方は、前にも書いたように中国でゼロから会社を立ち上げた。それは、大変な事だし、評価されるベキところだ。しかし、この総経理、私も仕事がやりやすく良かったのだけれど、中国語だけは覚えなかった。
会社立上げから2年目に入ったころ、とても有能だと評価していた通訳がいた。立上げから一緒にやっていた事も有り、総経理も信頼していた。色々な判断を任せており、人事評価もその一つだった。しかし、暫くすると、社内がおかしい事に気付いた。通訳が、まるでボスのように振る舞っているのだ。従業員の声が聞こえてこない、自分の指示が伝わっているのか分からない。
総経理と従業員の間に通訳しかいないとなると、その間の通訳が管理者としての役割を果たすようになる。非常に優秀で性格の良い通訳が間に入れば、会社は活性化する。しかし、この会社の場合、通訳にとって具合の良い従業員だけが会社に残ってしまった。
4つのケースを見てきました。
これらのケースは、恐らく防止出来たか、少なくとも軽減できたのではないかと思います。人に関してのコスト全面には出てきませんが、長い目で見れば大変大きな損失に繋がります。
アウェイで仕事をしていると言う感覚は、とても大切だと思います。
それは、法律、契約、規定、プロセスなどで明確にしておくといることだと思います。
それが、不測の事態(日本では不測でも、アウェイでは日常)の防止に繋がるでしょう。
重複しますが、
1.規定を決めること
2.規定を守ること
3.決められた規定を改変する時に納得を取ること
がアウェイで仕事をするときに大切なことです。
別の言い方をすれば(人に関しての私がして来た事ですが)、
・社内や社外バランスを考慮した給与体系を決め、
・その中にバラツキを押さえ込んで行く課程で、
・ローカルスタッフと一緒に仕事をした
と3つに纏められてしまうのだと、改めて思いました.