ぞうごの会

ステップアップを目指す勉強会・懇親会@上海

#61「教育と洗脳」

出席者

・勉強会・・・6名
・懇親会・・・5名
 

発表資料:「教育と洗脳」 #61「教育と洗脳」

 
 親に口酸っぱく言われた事ってありませんか?子供の頃の事です。たとえば、「音を立てて食べない」、「物は四角く置く」、「扉は閉める」など。私など、しょっちゅう言われていました。今となっては、いつの間にか身に付いていた自分に気が付きます。
 もしかすると、家族によっては言われていた事が違うかもしれません。個々の差だってあるでしょう。それでも同じ国の人であれば、その差は大きく無いように思います。日本人の几帳面さなんかは、その一例ではないでしょうか。
 
 しかしながら、国が違えばどうなるでしょうか。
 
 例えば中国なら、、、。
 
 日本の几帳面さに対して、中国では何が大切にされているでしょうか。幾つか思い当たる事を上げてみましょう。例えば、歩行者を待たない右折車、溜置きされたファーストフード店のコーラ、乗客がいないと通り過ぎるバス、自動音声のセールス電話。他にこんなものもあります。各種SMSサービス(宅急便の荷物到着通知、銀行の出金入金残高通知、等)、あらゆる交通網で使える交通カード、プリペイド式のシムカード、定時即帰社、など。中国に暮らして約10年、几帳面さはありませんが、「効率」は追求されていると感じます。
 
 国が違うと、大切にされる価値が事なります。
 
 子供の頃から教えられてきたことも違うでしょう。
 
 そう言った違う価値観を持つ人たちとどのように仕事をしますか?
 
 
 ある日系企業の副総経理が「製品のラベルの貼られ方が、配線が美しくない」と悩んでいました。恐らく、その悩みは価値観の違いに起因するのだと思います。この副総経理は、「几帳面さ」を分かってもらおうと奮闘努力しますが、「効率」を重視する作業者には意味が分かりません。ラベル配置や配線の美しさは製品の機能には影響がないので、なぜ悪いのかが理解出来ないわけです。
 
この隙間をどう埋めますか?
 
 
「教育するより洗脳してしまった方が早いのではないか?」
 
 
 今回のテーマに行き着いた理由です。
 
 
 勉強会は、「教育と洗脳」の違いを話し合うところから始めました。端的にいうと、いずれの行為も「人」を元の状態から「ある状態」に変化させる目的を持っています。しかし、教育が受け手に選択を残すのに対して、洗脳は受け手を強制し選択を与えません。もう一つ付け加えるとすると、後者は元あった価値観などを根底から変えてしまう事を意図して行われるところです。
 
 価値観を変えることが出来れば、先の副総経理の悩みを解決する手助けになるかもしれません。とは言え、 「洗脳」と聞いて、どの様なイメージを待たれるでしょうか?まあ、あまり良いイメージはないですよね。サリン事件もまだまだ記憶に新しいですし、新興宗教だとか、詐欺だとか、他にも良くない印象を受けます。しかも、使われる手段や道具も、ドラッグ、暴力、隔離、など、アンダーグラウンドなものばかりです。
 
 インターネットで引けば色々な手段が出て来ます。
 
 発表資料でも一部紹介してあります。
 
 残念ながら、「洗脳」で社員を教育してはいけません。
 
 逮捕されてしまいます、、、。
 
 
  それにしても、人はどのような時に価値観を変える事が出来るのでしょうか?少なくとも、社員には自社が大切にする価値観を理解して貰わなければ仕事になりません。日本にいる間であれば、周りの環境が全て、その価値観で統一されているでしょうから、悩む必要もありません。新入社員として入り、自然と身に付いていきます。
 
 それが、価値観の異なる海外で仕事をする時、大変な事に気がつきます。その価値観を持っているのは、多くの場合、一人か数人しかいないわけです。独でで教育を背負わなければならない。独りで価値観を伝えていかなくてはいけない。七転八倒の未来が見えるようです。
 
 
 「教育と洗脳」は、色々と語弊を招くテーマでしたが、それぞれの出席者から沢山の発言も貰い盛況だったとおもいます。今回はあくまでも触り、こんごも深堀していきたいテーマですね。
 
 
 では、また次のぞうごの会で。