ぞうごの会

ステップアップを目指す勉強会・懇親会@上海

論語(ぞうごの会39)

 「挑戦的なテーマですね。」と出席者の方が言いました。「はっはっは」と、誤摩化し笑いをする私がいます。中国に来て10年、中国の古典については、論語と孫氏の兵法を良く耳にしました。常々気にはしていたが、敢えて踏み込む事もせずに来てしまったのです。

 

 今回のぞうごの会では、そこに足を突っ込んで見ることにしました。どうぞ、お月会下さい^ ^

 

   タイトル     概要                 講師  

  「論語」      論語の成り立ちや概要について ・・・ 佐藤

  「論語とコーチング」ビジネスでの役立て方について ・・・ 藤丸 

 

 

 論語」 ・・・ 佐藤

 

 「子曰く」で始まる「論語」は、孔子と弟子達の問答を、孔子の死後弟子達が編纂したもの。儒教の教典とも言える四書の一つです。(弟子にる編纂、儒教四書のうちの一つ、こういった事は勉強しないと分かりませんね- - ;)

 

 孔子が生きたBC5世紀は、戦国の世の中。周王朝が滅び、諸侯が覇権を狙って争う時代。孔子は、戦国時代終焉を悲願し、理想の国造りとして周王朝を憶った。自身の質問「どうすれば社会は良くなるのか?」、「それを実践出来る指導者とは?」それに対する孔子の回答が、中国古代からの価値観の一つである「徳」を重んじることだった。要するに「徳」の成立が、戦国時代を終わらせ、社会を平穏に導くことに繋がると考えた。問答式にはなっている「論語」も、そのバックグラウンドには、「徳」を成立させる為の思想が体系造られているわけだ。

 

 孔子が後世に影響を及ぼした理由には、大きく二つある。元々、仕官することを夢見ていた孔子だったが、紆余曲折もあり、歳を取るにつれ弟子を育てる事に傾倒していくことになる。弟子の数、3000名。仕官するのではなく、自分と同じ思想を持つ弟子を増やす。このスタイルは、以降に現れる思想家を大量に作り出す事になる(諸子百家)。もう一つが、平民にまで「思想」というものを伝えた事。中国には、孔子以前にも多くの「思想」があった。これは貴族の為だけにあるもの。単純に「世の中はこう収まるべき」の対象は、君子だけでなく、それに使える者、その最底辺が平民も含まれることになる。弟子の大量製造や、問答式というのも、そこに理由があるのかもしれない。

 

 論語は紀元前の思想。2500年も前の考え方を、なぜ今学ぶ必要があるのか?その理由を3つほど、私なりに考えてみた。

 

 1)古典は英知

 2)戦国時代

 3)アジアの思想

 

 1)確かに2500年前と思うと、そんな古いと感じてしまう。しかし、2500年前の時点で、人間は何年生きていたことになるだろうか?ホモサピエンスが地球上に発生したのは、3万年前。孔子の時代までに約2万7500年ある。この間人間として、それこそ紆余曲折、七転八倒、色々なことがあったと思う。それが、思想体系となり、かつ記録として残せる形に成就した。そう考えたらどうだろうか?2万7500年の英知が詰まっていると言えないだろうか?2500年なんか、吹き飛んでしまうくらいの英知だ。この頃は、人類として一つの過渡期を迎え、大きく進歩したのではなかろうか?大枠では同年代と捉えられる、釈迦やキリスト、ムハンマドなどもいる。ただ一個人である私を凌駕しているのは当然と言えば当然で学べる事は多い。現代人が進歩していて、昔の人は進歩していないと言う考え方は、非常に危険。「論語」には役に立つ英知が詰まっていると、考えるのは、まったく理にかなっている。

 

 2)戦国時代とは、どんな世の中だろう?まず一つの支配体制が崩壊し、次の覇権を握る為に、多くの諸侯が乱立し争う。当然、今までの価値観も崩壊し、何を頼って良いかが分からなくなり迷走する。最近の世情に似ていないだろうか?身の回りでのドンパチは確かにない(ちょっと最近キナ臭いけれど、、、)。金銭中心、西洋中心の価値観は無くなってきた。先進国は迷走し、途上国が大きな発展を遂げている。ドカンはないけれど、戦国の初期とも考えられる時代に突入している。それも、グローバル規模で。「論語」は、戦国時代をやりくりする為に生まれた思想。現代にとてもマッチしている。

 

 3)中国、韓国、北朝鮮、台湾、ベトナム、そして日本。書き出してみると、パチパチと火花が見えそうだ。でもこれ、全て儒教圏。似た者同士は、いがみ合うとも言うけれど、同じ言葉も持っている。切り口はあると思う。私たちが「論語」を学ぶ事で、何か見つけるとは出来ないだろうか?理由2を含めて考えると、何か新しい思想が必要な今は、論語にヒントを見つけられるように思う。

 

 「論語」を学ぶ方法は?

 まずは、読む事。と言う事で、幾つか書籍を紹介して終わりにする。

  • 超訳論語」         安冨歩(著)  ディスカヴァートゥエンティワン
  • 論語」           金谷治(訳)  岩波文庫
  • 「現代語訳 論語と算盤」   渋沢栄一(著) ちくま新書
  • 「店はお客さまのためにある」 倉元長治(著) 商業界

 

以上

 

 大学時代の選考が「政治科学」だったせいか、どうしても話しが固くなってしまいますね。勉強会後半の藤丸さんのよる「論語とコーチング」は、もう少しビジネスよりで、実践的なお話しです^^

 

 論語とコーチング」・・・藤丸

 

 藤丸さんが購読されているメルマガの中に書かれていた一説です。2人の企画担当がいます。片方の企画は、非常に大きく盛り上がり、もう一人の企画は出席者数も集まらず盛り上がらず終わる。この差を作った要因は?以下、メルマガ抜粋です。

 

 その人にたくさんあって、私に全くなかったものは「相談回数」でした。 その人は企画を立ち上げる前に、とにかく周りの人に相談しまくるわけです。 いろんな人に揉まれるので、当初とがっていたアイデアが丸くなってしまう こともありますが、見落としていた穴がどんどんふさがれていきます。 そして、企画が提示された時点で、すでに多くの人が関わっていました。 一方で私は、「これをやろうよ!」と企画を提示する直前までは、 私しか知らない状態でした。 

 

  経営者やアスリートなど、 どんな人でも「相談相手がいる」ということです。 トップアスリートには、必ずコーチがついています。人に相談すると、痛いところを突かれたり、面倒くさいことを言われたりすることもあります。自分の殻にこもっていると、上のメルマガの様なことになります。経営でそれをやってしまうと命取り。だからこそ、都度〃〃相談して、方向確認や修正を一緒に出来るコーチが必要だと痛感しています。

 

 論語には、こうあります。

 「君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟なる者、其れ仁を為すの本か。」これを、意訳すると「お父さんお母さん、師の言うことをよくきき、何事にも一所懸命に取り組もう。」になるそうです。大分な意訳ですが^^。

 

 論語で言われている「本」、意訳で使われている「父母師」を「相談者」と置き換えてみてはどうでしょうか?ただ単に言われたことを右習えではないでしょう。聞き、吟味し、導き出した答えを実直に行う。「本立ちて道生ず」です。

 

 

 論語には、こうあります。

 「過(あやま)ちて改めざる、これを過ちと謂(い)う。」これを意訳すれば、「過ちを認めない事が本当の過ちだ」と言うことでしょう。間違いと言うのは、中々認めたくないものです。そもそも、間違っているということ自体が見えにくい。「相談者」に見てもらい、第3者としての意見を聞く。

 

 実は今、経営再建に取り組んでいるただ中です。独りでは出来ないと悟り、アドバイザーを頼みました。本当に耳の痛い話しです^^ ; 例えば、、、

 ・5S活動に取り組むと言っている僕自身が動いていない事を指摘されました。

 ・事務所をウロウロし、成果を出していないのは僕自身だと指摘されました。

 僕自身では気付かない事が多く有り、今やっと具体的な再建計画を実施出来ています。今は朝礼後に率先してほうきを握ってますよ^ ^

 

 コーチングは、アメリカから入って来て、いま正に日本で広がろうとしています。アスリートや経営者だけでなく、普通の人もコーチが必要だとなってきました。たぶん、指針がないからだと思います。

 

 先に紹介させて頂いたように「論語」には、知恵が詰まっています。「相談者」を作る事は、とても大切です。とは言え、直ぐに見つからない場合もあります。そんなときは、「論語」に目を通してみるのも如何かと思いました。

 


 最後に...f:id:zaowu:20130217200022j:plain

 渋沢栄一は終生『論語』を手放さず。「論語で事業を経営してみせる」とまで言った(朝日新聞「天声人語」)「経営するなら論語を読んだ方がいい。論語がどんなマニュアルにも勝ると言った経営者がいた。」

 なるほど、社長でなくとも論語は人生の指針となるものばかり。成功する経営者、アスリートには論語の精神と相通ずるものがあるのだとしみじみ思いました。表紙には人生の算盤(そろばん)は、孔子に学べ。う~ん、どんなコーチングも太刀打ちできません。もし、論語を学んでいるコーチがいれば、鬼に金棒ですね^ ^//

 

以上

 

 

 さて、今回のぞうごの会ダイジェストは、如何だったでしょうか!?